命が尽きるまでに、あと何人の『あの人』と出会えるだろう
あなたの次の『あの人』は、もう近くにいるかもしれない
出会いは、探しているときより、動いているときにやってくる。
そのことを人生の節目ごとに思い知ってきた話。
「あの人がいたから、今の私がある」
そう思える人が、あなたにも一人ぐらいいるのでは?
私の何人かの「あの人」のうち二人を紹介すると1人目は、シドニーにいた頃に出会った人。
当時、20代だった私は、日系出版社でパシリのような仕事をし、時々、(なんちゃって)通訳みたいなことも。
自分が何者かなんて、考える余裕もない日々。
そんなある日、
ひとりの編集者が編集長に「さくらぎさんは、文章が書けると思う」と。
その進言で、私はひとつの記事を書いて編集長に提出。そして、とても幸いなことに翌日から編集部へ移動。
あの一言がなければ、私は編集者という道に踏み出せていなかったし、今の仕事も、今つながっている人たちとも出会えなかっただろうと。
2人目は、40代半ばのとき。ちょっと重い病を得て、自分の命に向き合わなければならなかった時期のこと。
仕事も、日常のリズムも、自信も、全部手放さざるを得なくなって、一旦休止。
半年以上かかって、ようやく動けるようになった頃、出かけていった県外でのセミナー。
そこで出会った人が、私が編集者だと知ると、ある冊子を手渡してくれました。
その冊子に書かれていることを読んで、「これだったら、私もできるかも!」と、
光を見出した私はブログをスタート。
それが起業へと繋がる発信の始まりだったのです。
ここでは2人を紹介したけれど、他にも節目節目での貴重な出会いは、まだまだある。
その人たちとは今も仲良しかというと
今でもお付き合いが続いている人もいれば、そうでない人も。
ケンカしたわけじゃなく
ただ、話が合わなくなったり、
見ている方向が変わったり。
相手の知っている「以前の私」ではなくなって、いつの間にか疎遠になっていたり。
これは、仕方のないことだと今は思っています。
お互いに、生きているのだから。
以前はそういうとき、少し寂しさを感じたけれど、今は「それでいい」と。
自分を押し込めてまで関係を続けるより、離れることも、縁のかたちのひとつ。
近づいたり、離れたりしながら、人とのご縁は続いていくものなんだと。
出会いは、動いたときにやってくる
ここで、一つ思うことが。
「あの人」たちとの出会いを振り返ると、
どれも「出会いを求めていたとき」ではなかった。
シドニーでは、ただひたすらに目の前の仕事をこなしていたとき。
2つ目の例でいくと、すべてがゼロになって、それでも光を探して外へ出ていったとき。
どちらも、何かを求めて動いていた。
出会いを「探して」いたわけじゃなく、
ただ、動いていた。
そんなときに、人は現れる。
逆に、「いい出会いがほしいな」と思いながら、家で待っていてもなかなか来ない。
これは、私の経験だけじゃなくて、
まわりを見ていても、そう感じることが多い。
出会いは、目的じゃなくて、
動いた先についてくるもの。
そういうものなのかもしれない、と。
だとすれば、あきらめるのはまだ早い
50代に入ると、出会いの数が減ってくるように感じる人も多いのではないだろうか。
でも、それは出会いが減ったのではなく、「動く機会」が減っただけかもしれない。
小さくてもいいから、新しいことに挑戦すること。
ずっと気になっていた何かを始めること。
気になってる誰かに連絡してみること。
どんな小さな一歩でも動けば景色が変わる。
そして、景色が変わったところに
次の「あの人」がいる。
生きている限り、
人生を動かしてくれる出会いは、これからだってある。
命が尽きるまでに、あと何人の「あの人」と出会えるんだろう。
そう考えると、じっとしている場合じゃない、そんな気がしてきませんか?
お読みいただきありがとうございます。
「今あるもので」動ける自分になるヒントをお届けします。

キョウカンします^_^
「人が覚悟を決めて本気になった瞬間から、神の意志もまた動きはじめる」。
すべてが起こるべくして起こる。
と好きな言葉があるのですが、それを感じます。
出会いを目的にした場などで出会うと壊れやすい、または、出会わないですね^^;(>_<)^^;